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リメンバランス・デー

きょうは イギリスではリメンバランス・デーと呼ばれ、
世界大戦で闘った兵士達のために
祈りを捧げる日なのだそうだ。
シンボルは赤いけしの花なのだそうだ。
ついでに私の誕生日
世界大戦で闘った兵士達 
歴史研究家:岡崎溪子
「三仙洞探検記」(岡崎溪子著、文芸社)
メールマガジン「シベリア決死行」より抜粋
»岡崎けい子のホームページ(»シベリア決死行)


長峯様 ここに載せることをお許しください

「…さっきから俺はどこにいるのだろう?…
昭和20年8月15日の天皇の衝撃的な
敗戦宣告を聞いて、心の整理もつかぬ間に
ソ連軍の武装解除を受けて捕虜になった。
新京で貨車にのせられ日本に帰すと言われたが
あれは嘘だった。北へ、ハルピンから黒河へ
そして黒竜江を船で渡ってブラゴエシチレンスクの町に
着いたときはナホトカから帰国するとばかり思っていた。
それなのに、ちきしょう!ロスケの奴ら!
こともあろうに俺たちの乗った貨車は
シベリア本線に入っていき、どんどん西へと
向かっているじゃないか!
だまされた悔しさでみんな怒り、泣き喚き、
疲れはてても眠れやしない。
絶望の果てに見たのはまだ10月というのに
いちめん雪でおおわれたネルチンスクの駅だった。
そっからトラックでシルカ川の支流をさかのぼり、
放り出されたのがここ、シャフタマ部落さ。
おぞましい極寒のシベリアで犬馬のように酷使され、
それでも薄っぺらい一枚の黒パン欲しさに
体力の限界を感じる日々だった。
2月のシベリアは零下50度を越して、
もう俺の体は寒いも痛いも感じない。もういいんだ。
頼む、もう俺を自由にしてくれ!
山沢、さっきはマホルカを吸わせてくれてありがとう。
残りの2箱は君にやるよ。
ただひとつの俺の望みは家族に知らせてくれ。
どうせ、俺が死んでも墓なんかありゃしない。
…いいんだ。みんなの体力が弱るから。
でも、あの便所の隅の死体置き場で丸裸にされて、
俺たちがやってきた森林伐採の丸太のように名前もなく、
積み上げられて、5月の春がやってくるまで
迷惑なゴミでしかないのがつらいよ。
俺の名前は長峯敏雄、
ながみねとしお、なんだ。ゴミじゃない。
忘れんでくれ。人間として死にたい!
ああ、アカシアの白い花が満開だね。
あれは白亜の満鉄本社じゃないか…
希望をいっぱいにポケットに入れて入社した23歳。
大連のレンガ造りのしゃれた建物と街の賑やかさに
田舎育ちの俺は驚いた。
屋台の水餃子がうまいんだ、これが。
いつも俺は1ダース食ったね。
秀子と結婚して男の子が2人もできて
幸せの絶頂だったなあ…
おや、聞こえてくるのは生まれ故郷の
山口の徳佐八幡宮の祭ばやしの太鼓と
笛の音じゃないか!参道の桜並木は満開だ。
桜吹雪で前が見えないよ。
あっ、兄貴とお母さんがいる。おーい!おーい!
おかあさーん!ボクです。敏雄でーす。
うわあ、大好物の巻き寿司だァ、すげえや、
あなごも入っている!
もう、これ以上食べられないよ。勘弁してよ…
…もうなにも…みえない…」
昭和21年2月16日 長峯敏雄死す 
享年38歳 陸軍兵長
死亡原因は栄養失調と過労であるが、
厚生省の記録には『小腸炎』とある。
※参考資料
『平成14年(2002) 9月 
厚生労働省より新たに入手したソ連邦抑留中死亡者資料
埋葬地:チチンスク地方、第25収容所、
第一支部ベルシーナシャフトム村
埋葬場所: 収容所25/1墓地
整理番号:3027-16
 捕虜になった場所及び月日:チャンチュン、
昭和21年8月15日』より
残された家族にはいまだに遺骨もなく、
墓参するにも場所不明。
戦後57年経ってやっと今年定年を迎えた息子が
来年シベリアのチタ州に墓探しに行きます。
どなたかちょっとでもご存知のことがあれば、
長峯精一郎宛にメールをください。よろしくお願いいたします。
 naga@courante.plala.or.jp
(2002 原稿作成)歴史研究家:岡崎溪子

宮内省一さんの自費出版「最後の初年兵」を読んだ
その後の読者の会にて集まったのは
その頃の兵隊の方ばかりだった
テーブルから立ちあがって挨拶する仕方は当時の仕方で
その場の空気は一挙に変化し 
その場の人の姿が若いその頃とものと
かさなって見えたような気がした
わたしの祖父はシベリアへ行くことが
前もってわかったらしく軍の地位を捨て
調理場へ逃げ込みシベリアへ行かずともすんだ
もし行っていたら 省一さんが記述していたような、
この長峯さんのような体験をしていたのだ
シベリアだけではない
本当に悲惨な戦争の爪跡はそこかしこにある
大分前には当時疎開していた人達が
原爆の直後の映像を子供の頃に見たと言っていた
はみだした腹わたを両手で持ちながらも
歩いて逃げて行く人々の姿が忘れられないと言っていた
腹わたって 一度お腹から出ると
呼吸のたびにずるずるって出てしまうものだ
私達は たくさんの流した血の大地の上に立っている
どうか 見るべきものを見 感じるべきを感じるよう
見守ってください

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リメンバランス・デー” への3件のフィードバック

  1. 4年前に書いて頂いて居たのですね。その後2回シベリアへ出掛けましたが、未だ見付かりません。

  2. シベリアからの頼り

    4年前に書いた記事
    »kisatonomori blog―リメンバランス・デーに
    長峯様のご家族の方からコメントをいただきました
    あれから2回もシベリアへ行かれ、まだみつかっていないそうです
    記事は当時ただ書きつづっていたので
    引用文やソース元のリンク詳細を追記しました
    再度読んで涙しました
    夕べは凄い雨風
    ベランダのパスカリは無事に
    蕾がまた膨らんでいます
    太陽の光がまぶしく届いています

  3. 「最後の初年兵」

    「最後の初年兵」宮内省一氏
    自費出版にて出されたこの著書を
    新聞でみかけて注文して読みました
    のちにこの著者より読書感想として
    「体験を語る会」があることを知り、出席。
    スーツを着て行ったせいか、記者と間違えられました。
    集まった方々は皆、実際の戦争体験者の方々ばかり
    若いのは私ともう一人だけ(この人が新聞記者だった)で
    もっと若い人たちが集まるかと思っていたので意外でした。
    著者は仕事を退職されてから、この日本の国の様子に危惧を持たれ、
    それまであまり話題にせず胸の奥に…

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