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時系列時間の体験: シャーリー「ゴーイング・ウィズィン」より 

*「」は本より抜粋
「アインシュタインが、時間とは
空間に焦点をあてやすくするために、
人間が発明したものであると言ったということを、
ある本で読んだ」

「私達の時系列の時間の体験とは、
限られた瞬間に、私達が興味を持っている物事に
意識を集中できるように一ヶ所に焦点を絞っている体験なのだ。
実際ちょっと焦点をずらせば、意識を広げることによって、
その時間に、別の時、別の空間を体験できるのである。

このように考えると、時系列的な輪廻転生
(次々に順番に転生を繰り返すこと)は事実ではなく、
私達が意識を向けることに決めた転生を、今体験しているということなのだと思う。
それは他の進行中の転生と、同時に存在している。
ただ、私達は“今”に焦点をあてているということなのだ。」

「今生ここにいる私達は、たくさんの転生を繰り返しているうちに
ため込んだカルマや、数々の体験の集積物なのである。
ちょうど大人になった現在の私が、
子供時代のあらゆる体験の産物であるのと同じように、
私はすべての転生と体験の産物なのだ。」

「子供の頃の出来事を思い出す時には、
その時の感情を今、再び味わう。…
・・つまり、その出来事は現在もまだ起きているのである。」


現実は マスメディアで流れているのは
ごく僅かな姿しか映していない
わたしたちは ほんの小さなピースしか見ていない
歴史についてもしかり
わたしたちは 本当の歴史を知ってはいない
ほんの薄っぺらいページの一部を知ってるだけだ

今 世界は動いている
その世界って一体なに?わたしたちはなにを見ているの?
たしかに世界を見ているようにも感じる
それもとても確固たる世界のようにも感じる
だけど それは やっぱり…
お腹の中で母の想い そこから感じる世界の音
それらと変わらないような気もする

わたしたちは 作られた 作った世界の
それらの人と人の間に流れるエナジーを
ただただ感じ見ているのではないだろうか

それが確かな感覚として自分にも響いているのではないか
そうした感覚から世界の歴史をもういちど振り返ってみたら
見えてくるものがあるかもしれない その歴史は?
なにがあったのか これまでどんな歴史があったのか
現在残されている資料を全て調べたところで
それはほんの薄っぺらい1ページ
象の一部を見ているだけ

わたしたちが こういう世界だ
と思い込んでいる世界が大きくクローズアップされて
わたしたちの記憶に残っていく

だけど これも 銀河系であれば その銀河の一部
他にもたくさん銀河があり
そこへ意識さえ向けようともしないのと同じかもしれない

そんな空間の中に ぽつんと立ったら なにを考える
なにを感じる?
そこの基準にあるものは いったい なんだと思う?

「アインシュタインは、
『宇宙について最も理解しがたいことは、宇宙は理解し得るということだ』と言っている。
何と素晴らしい謎だろう。
人間はなぜ、この大宇宙の真理を誰に教えられもしないのに、
見たり、感じたり、夢で見たりできるのだろう?

私達は覚えているのだろうか?
私達はしっかりと宇宙に組み込まれているのだろうか?
宇宙も人間も同じ想念でつくられているのだろうか?」

「現在、量子物理学は、観察中の対象物の性質は、
観察者の意識によって動き、変化するということを実験室で目撃している。
『宇宙はたぶん、ひとつの巨大な想念なのだろう』と、
彼らは結論している。」

シャーリーのオーラへの瞑想を
これまでのやり方に加えてみたら自分の周囲にま~るく
水のような膜が張っている感覚を数日前から感じている
ある程度のクッション性を持たせたこのイメージは
なんとなく安らげる

そういえば地球も水の惑星
わたしたちの身体の物質面は
ただ湿りけのある物質の集まり
それをあまり認識していないだけのこと

誰もが 光と理解を秘めている

「私達は意識の奥底ですべてを動かしている偉大な存在と自分が
繋がっているのを知っているのだ。…
・・ それゆえに、私達は調和している。
その調和にどれだけ気づくかは、私達が自分の内なる神の存在に
どこまで気づき、受け入れるかにかかっている。
それさえわかれば、宇宙の愛にあふれた魔法を信頼して、
自分でやろうとせずに、大いなる宇宙の意思に添った人生を創造してゆくことができるのである。」

計画していた青写真は現実化されていく
何を計画したのかは覚えていないけど
無理やりこじ開けて見る必要もないと思う

わたしは 流行りの退行催眠やらには興味は無い
求め続けたソウルメイトとの過去世の関係を
第3者に見てもらってショックを受けたカップルは
その後どおなったんだろう

それぞれがそれぞれの真実を感じているのだから
勘違いや思い込みもあるというのに
何故そこまでするのかなぁと思う
とても深い繋がりがあると感じて
その真実を知りたいと思うのは当然かもしれないけど
そこに他の人に頼んでしまうところに問題があるように思う

自分がまだ過去世を思い出せないでいる状態なのに
無理にこじ開けてそれを受け入れる素地はあるのだろうか
思い出す時には思い出すようになっている
そこまでのプロセスも大切なんではないかと思う

きっとそれを知って
繋がりをいっそう強めたいという気持ちが裏目に出たのだろう
出会ったことの奇跡 そこから生まれる歓びに
アクセスし続ければ過去世がどうであれ
計画していた青写真が
新しい時間と空間に生まれるのだろうと思う

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