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二十世紀最大のシャンソン歌手エディット・ピアフの壮絶な生涯に涙

世の中 ほんとにいろんな人がいる
自分の大変さなんてちっぽけなものなんだろーなぁと思わせる
でもそれぞれがみんな
それぞれでせいいっぱいなんだよね
それぞれの器に合ったそれぞれの重さに
レベルの上下などは無い。。。
こっちが大変でそっちは大変じゃないっていうのも無い。。
人は見えにくいもの
自分も見えにくいもの。。

それにしても エディット・ピアフの生涯には度肝を抜かされた
毎月届けられるオルビス化粧品の雑誌に
ヒロインたちの肖像というページがある
今回取り上げられていたエディット・ピアフには
驚かされ、涙し心から祝福した。

有名なお話なのかもしれないけど、
わたしには初耳でした。

Edith Piaf  1915~1963
本名エディット・ジョヴァンナ・ガシオン
シャンソン歌手
概略を箇条書きにすると。。。

1915 第一次世界大戦の中パリで誕生
父は軽業大道芸人
母は売れないシャンソン歌手

 

貧しい暮らしの中、母は街灯の下の路傍で
小雨に濡れながらエディットを出産
母は生まれたばかりのエディットを捨てて駆け落ち
売春宿経営の祖母に預けられ、
悪い衛生環境の元幼いころ視力を失う。
視力は回復するが、幼いエディットを父は街角に立たせ
歌を歌わせその稼ぎは父の酒代と父の恋人たちに取り上げられる
15歳 貧しい配達夫の少年と駆け落ち
娘が2歳で亡くなり、夫も去り、エディットは酒浸りとなる。
正式に歌を習わなかった彼女は彼女独特のスタイルを獲得
やがてエディット・ピアフと名乗り
一躍有名となりフランスを代表するシャンソン歌手となる
彼女は無名の若い男性歌手に才能を見出し恋をして
徹底的に尽くし(イブ・モンタン、シャルル・アズナブール、
ジョルジュ・ムスタキ・・・)
一流になった彼らは彼女を捨てて去っていく

 

やがて本当の出会い、
ボクシングのミドル級チャンピオンのマルセル・セルダンと出会う
名声などの目的や利用ではなく、本当の人と人との出会い。
心と心の出会い。
彼女を大切にしてくれる相手との出会い。
1949年、彼女が会いたいとせがんで
彼女の公演先に向かう飛行機でマルセルは事故で亡くなる



The Voice of the Sparrow

「愛の讃歌」Hymne a l’Amour (If You Love Me)は
マルセルへの曲として作られたのだそうで
試聴してみたら、ああ、この曲!と驚きました
あまりにも有名なこの曲にはこんな背景があったとは!
エディット・ピアフ作詞 マルグリット・モノー作曲


マルセルを失った彼女はあやしげな交霊術とアルコール、
麻薬に埋没し、自殺めいた交通事故と共に病気も抱え、
40代なのに老婆のような容貌に変わり果てていく
「麻薬って、ほんとに地獄のお祭りよ。
単調で、灰色で、汚いわ。
それでも続けるしかないのよ・・」(自伝より)
さびしさをまぎらわしてくれる
取り巻きと麻薬に高額なギャラは飛び大きな借金を負う
生きる屍となって死を待つばかりの彼女のもとに
熱烈なファンである20歳年下のギリシャ人
テオ・サラポが入院先に訪れる
テオはエディットへの尊敬が愛情に変化して、
彼女が癌で余命いくばくもないことを医師から聞いて
彼女に結婚を申し込んだ

やがて結婚し、ピアフは歌の才能を持つテオを世に出すために
もう一度ステージに立った。

1962年9月25日
第二次世界大戦祝勝記念行事にて
再起不能と噂されていた彼女は
医者からは彼女の体は数年前から死体同様と証言され、
スタッフからはステージに立つのは自殺行為といわれる中、
エッフェル塔の上からパリ市民へ向けて熱唱
少しも衰えず凄絶で深みを増した歌声は「ピアフの奇跡」と讃えられた。
瀕死の状態の彼女とテオのデュエットには割れるような拍手が。。
一年あまりの結婚生活の後、テオの成功を見届けるように
エディットは亡くなり(48歳)、
テオは彼女の残した莫大な借金を返済するために数年を費やし、
すべてを返し終えたあと、自ら死を選んだというのも衝撃的です。
テオ(1936~70)
「私は、ただひとりの男しか愛さなかった。
その名はマルセル。
ただひとりの男だけが、私のもとから去らなかった。その名はテオ」
(ピアフ 死の直前の自伝)

テオとの写真が載っているのですが、
ほんとうに40代にしてはとても老けています。
テオから求婚されたときピアフは仰天して断っていたそうです。
「私は、あなたには想像もできないような重い過去を持っているのよ。
こんなボロきれのような女のどこがいいの?」と。
テオの家族に紹介されたとき
テオと同じくらいの歳のテオの母親から
「わたしのことをママと呼んで」とやさしく言われて
感動のあまり号泣したそうです。
わたしはここを読んでまた涙腺が緩みました
生きる屍から奇跡のカムバックができたのは
テオとの出会いだったのでした
自分を愛することなどできなかったに違いありません。
絶望と失望 すべてに裏切られていく感覚の中で
やむを得ないでしょう
それを一転させた
彼女を愛する存在として現れたテオ
こんな男性が世の中にいたなんて、と思うこと事体、
わたしの心も汚れているということなのでしょう。
ピアフへの祝福と共に、テオの存在に驚きました。
ピアフは彼との出会いによって、安らかな死を
迎えることができたでしょう。
テオは?
ピアフの言葉
「私は、ただひとりの男しか愛さなかった。
その名はマルセル。
ただひとりの男だけが、私のもとから去らなかった。その名はテオ」
テオをピアフは愛していなかったのだろうか
マルセルほどに マルセル以上にという存在ではなかったのだろうか
それとも、愛した男の中で去っていったのはマルセル
去らなかったのがテオということなのだろうか
ただただテオの愛を受け入れ感謝する毎日だったのだろうか
ただひとりの愛した男マルセルという言葉が引っかかります。
ここに書かれているものだけでは
とてもその奥を伺い知ることはできないけれど
テオにとっても、ピアフとの出会いがとても大きく
心を支えていたのではないかとも思います。
ピアフが亡くなったとき、テオは叫んだそうです。
「こんなことは信じない。彼女は何度も、
僕に奇跡を見せてくれたのに。」

テオには、ピアフの輝いた瞳が向けられていたのでしょう。
ふたりの出会いに心から祝福を。。

クリスマスシーズン到来
クリスマスにいつも思い出すのは「マッチ売りの少女」
冷たくなった身体 家々から見えるそれぞれの家族の団欒

ピアフの物語はマッチ売りの少女より壮絶な実話

マッチ売りの少女は 少女のままに
マッチを擦ってあたたかな夢を見て天に召されるけど
彼女は死んだほうがましといえるほど
痛くて悲しくて苦しい道を歩んでいった

本当に愛する愛してくれる人の出会いまでが死に引き裂かれ
彼女の暗闇は一層増していった
その痛みはどれほどだっただろう
自殺しなくても心と身体は 死へまっしぐらだったのだろう
そして最後に彼女は
お金では換えられない
大きな出会いと歓びとともに旅立っていったのだった

人と人との出会い
いつも
そこに尽きる。。
その出会いかたに尽きる。。

「愛の讃歌」Hymne a l’Amour (If You Love Me)
これからはこの曲をどこかで耳にしたら
知らなかった今までとは
ちょっと違った聴き方になりそうです

ピアフについて、訂正箇所があります。
”ビアフの出生はベルヴィルのテノン病院です。
ピアフがストリートシンガーになったのは、
父親に反抗して自分で出て行ったからと言う方が
通説です。
最初の恋人(御用聞き)はピアフを捨てたのではなく
殺されて死亡しています。”
詳しくはコメント投稿してくださったなすさん、ひなさんのコメントを下記参照してください。
なすさん、ひなさん、ありがとうございました(‘07.9.21)

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二十世紀最大のシャンソン歌手エディット・ピアフの壮絶な生涯に涙” への3件のフィードバック

  1. 9・24-10・8.。ベニサンに是非。。

  2. 素敵な内容でしたvv
    ピアフはいいですよね。
    いくつか訂正が・・・
    ビアフの出生はベルヴィルのテノン病院です。
    ピアフがストリートシンガーになったのは、
    父親に反抗して自分で出て行ったからと言う方が
    通説です。
    最初の恋人(御用聞き)はピアフを捨てたのではなく
    殺されて死亡しています。
    ちなみにピアフはジャン・コクトーの
    前日に死亡しました。
    ドラマチックで素敵ですね。
    検索で辿りつきました。
    ヨコから失礼致しました。

  3. comment
    通りすがりの者ですが…
    私もピアフ好きです♪
    ですのでおせっかいですが更に補足を…
    まずピアフが生まれた場所ですが。
    それこそ路上ではないにしろ、あながち間違いでもないですよ。
    当時、急に産気づいた母のアネッタは慌てて病院に向いました。しかし激しい陣痛に堪えきれず、その病院入り口の階段で…
    と、いうのが定説のようです。
    現在ではその現場にプレートが貼られて、ピアフはここで生まれたんだという説明が書いてあります。
    まぁ、もちろんですが、すぐにその病院で処置を受けました☆ミ
    もうひとつはテオとのことです。
    ピアフはテオを愛していたと私は思いますよ。
    実際に本人が語った言葉は
    「あたしずいぶん恋愛したけど、1人の男しか愛さなかったわ。一人はマルセル・セルダンよ。
    そして一生の間、あたしは1人の男しか待っていなかったの。それはテオ・サラポよ…」
    と、いう内容です。
    これはピアフが生前、義理の妹のシモーヌ・ベルトーにテオとの出会いについて語った時のものです。
    私はこの言葉からピアフは恐らくテオと出会ったことで『恋と愛』との違いに気付いたと表現しているように思いました。
    素敵なことですよね。
    ちなみにジャン・コクトーはピアフの死を聞いた4時間後、弔辞の言葉を考えながら亡くなりました。
    ピアフはお昼過ぎに亡くなったので、同日に亡くなったことになります。
    コクトーもまた癌で末期という状態でした。
    生前は詩人としても活躍していたコクトー。駆けつけることもままならない中で、きっと仲良しだったピアフのために素敵な言葉を贈りたかったのでしょうね。
    僕のエデット
    死に引き寄せられた僕は、どうしていいか分からない(これが手なのさ)
    僕は君にキスをする。君は僕が毎日愛情を込めて考える7・8人の1人なのだから。
    1963年5月25日 ジャン・コクトー
    では、長々と失礼しましたm(__)m

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