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痛みから生まれるもの

ダルク
DARC=Drug Addiction Rehabilitation Center
薬物依存者のリハビリ施設
日本初のダルクを22年前に東京都内の一軒家にて始めた
近藤恒夫さんの新聞記事が目に留まった
覚せい剤中毒だった近藤さんがボロボロになって
入院していた精神病院で、
「私は神父ですが、アルコール依存症です。」と
自己紹介したロイ神父との出会い。
病院から退院しても麻薬がやめられなかった近藤さんは、
とうとう逮捕される。
出所後、近藤さんはロイ神父の活動を手伝うようになった。
アルコール依存症回復施設で活動しているうち、
近藤さんは薬物依存者の回復施設をつくりたいと思うようになったそうだ。
この記事を読んでから、ネットで検索してみたら、
詳しく載っている記事をみつけて、夢中で読みました。
魂の仕事人
ここに書かれてるのを読んで、
薬物依存の深刻さは思った以上のものだった。

アルコール依存者の人たちにとっては、マックのような回復施設がたくさんあるからいいけど、薬物依存者の人たちは受け入れてくれるところがなくて排除されてた。それは差別でしょ。僕自身が薬物依存者だから、そういう人たちもマックのような施設があれば回復できるはずだと思ってた。
それでメリノール宣教会のミーニーっていう神父に相談したんだけど、「ヤク中の回復なんてありえない」って言われた。以前、薬物依存者の回復支援もしたことがあったんだけど、どうやってもできなかったらしいんだ。だからそう言うのもわかるんだけど、頭に来てね。「じゃあ俺も回復できないってことかよ」って。僕自身も薬物依存者だからね。

でもミーニーさんはさすが神父だけあって、否定するだけじゃなかった。「本当に薬物依存者の回復を信じるなら、東京都精神医学総合研究所の斉藤学(現家族機能研究所代表)という精神科医を訪ねてみなさい」って教えてくれたんだ。それで斉藤先生に相談したんだけど、「やめたほうがいい」と反対された。そもそも薬物依存者の回復は困難を極めるし、そういう施設を作るために無理をして僕自身がつぶれてしまったら元も子もないという意味だったと思う。ほかの医師も同じ意見だった。
ミーニー神父や精神科医たちだけじゃなく、当時周りにいた人、ロイさんまでも反対した。それでもあきらめるわけにはいかなかったんだ。AAのミーティングだけじゃなく、NA(注4)とかいろんな依存症のミーティングやセミナーに出席するうちに、僕の周りには薬物依存者が集まってきてたからね。

近藤さんが立ち上げたダルクは、その後
回復者がスタッフとなって、全国に広がっていった。

共通の問題をもったところから立ち上がった人たちが、次の人たちの回復をサポートする人として一番理想的なんだよ。一番痛みをわかってて、次の人たちを手助けするモチベーションの高い人たちだから

新聞記事には、こんなことが書かれていた。

ロイ神父は昨年、帰らぬ人に。残された文章などは、一冊の本
「仲間になってくれてありがとう ロイ神父からのメッセージ」になった。

「仲間になってくれてありがとう。」
近藤さんは現在、各地の刑務所や警察と連携した
再発防止プログラムの実践に乗り出しているそうだ。

近藤恒夫
1941年 能代市生まれ
85年にダルク(現・東京ダルク)を設立。
日本ダルク本部代表のほか、
アジア太平洋地域の薬物問題に取り組む
特定非営利活動法人「アパリ」の理事長も務める。

薬物(麻薬ではなく鎮痛薬などなど)によって人格が変わり、
やめるように説得して喧嘩別れしてしまった友人、
ダルクに通い始めたと言ってたけど、
友人の家にある金目のものを借りたり盗んだりして、
質屋に入れてしまう友人、
結局こういう人たちとの友人付き合いは
付き合いきれるものではなかった。
一度崩れてしまった信頼は回復できなくなっていた。
限界になってこちらから断ち切った。神経参りそうだった。
彼らは今どうしているのだろう・・。
「やめろ」と言ってはいけなかった。
でも私にはそう言うしかできなかった。
もうどんどんおかしくなっていく姿を見たくなかった。
シンナーでおかしくなって精神科に受診してきた若い子は、
脳波を調べるとその脳波は老人のそれになっていた。
脳は一度そうなってしまうと回復などしない。
そんな怖ろしい影響がある現実を
彼はおそらくわかってやっていたわけではないだろう。
「やめろ」と言わずに近藤さんを見守ったロイ神父。
退院後に覚せい剤がやめられず神父を訪ねた近藤さんは言う。
「シャブやるんだ。金貸してくれ」
「そうですか。面白いですね」と言って4万円を渡すロイ神父。
『やめろ』とは言わなかった。選ぶのはあなた自身だと。
本人の責任をそのまま本人に返す。
それが近藤さんの心のどこかを揺るがし、
やめたいと本気で考える芽になったらしい。
近藤さんのインタビューを読んで、
たとえダルクに通っていても、
本当に回復できる人がどれほど少ないかを知った。
それでも何度も何度も失敗しても、希望は残っているという。
ロイ神父の残した言葉
「人生に失敗はない。何があっても、また一から始めればいいんだ」
やめたいと願う人たちへ伝えたいという希望の言葉

「他人のため」じゃ続かないよ。自分が助かるためにこの施設が必要だと思ったから作ろうと思っただけ。確かに結果的に多くの人のためになってるけど、それはあくまで結果であって、最初は多くの人を手助けするために、なんて全く思ってなかった。今もそうだよ。

あと俺自身、入寮者に殺されかけたこともあったしね。そういうことが続くとダルクなんてやるんじゃなかったなと思ったこともあったよ(笑)。
今でもダルクにいるのはそういうヤツらだよ。でも仲間なんだよな。俺もやつらも薬物依存から抜け出したいと思ってる仲間。だから見捨てられないんだよ。
そういうアディクションの連鎖は社会的な損失なんだよな。ヤク中になってる人たちは社会的に死んでるわけだから。将来的な社会的損失を食い止める意味でも、薬物依存者の回復支援は重要なんだよ。

ダメな人たちを刑務所や病院などの日の当たらない場所に追いやって、自分たちだけがクリーンでまともである、そんな自分たちだけで社会生活を営んでいこうというのは健全な社会だとはいえない。ダメの烙印を押された人たちは社会的に無視されていくわけですから。無視された人間は立ち直れずに犯罪を繰り返す。それは社会にとっても大きな損失なんだよ。そういう人たちを大切にしていかないといい国にはならないよね。
僕らは最初から国なんてあてにせずに、自分たちの病気は自分たちでなんとかするってやってきたからね。そもそも俺は国から援助されるのがあんまり好きじゃない。援助されたら国からの指示や思惑にダルクの活動が左右される危険性があるでしょ。経済的には苦しかったけど自由にやれたから、国に頼らなくてよかったと心底思ってる。
だからこの間の国会に参考人として呼ばれたときにもこう言ったんだよ。「ほんとにあなたがたに援助されないで助かりました。援助されてたらどうなっていたかわかりません」って(笑)。

だけどこのままだったらダルクは間違いなくつぶれる。だから国会で「ダルクは国から金をもらわずに自力で回復支援をしてるのに、どうしてつぶそうとするのか。ダルクをつぶさないでください」とも言ったんだよ。国が施設を借りてくれたり、場所だけでも提供してくれたら少しは楽になるんだけどね。国はたくさん使わない資産もってるでしょ。こういうことに使わせてほしいよね。
それから巷には老人福祉とか児童福祉とかがあるのに、矯正福祉ってのはないでしょ。だから「刑務所から出てくる人たちをダルクに押し付けるだけじゃなくて、その人たちの矯正施設を作ってください」ともお願いしたんだ。
NA(Narcotics Anonymous)の12のステップ
5.各グループの主要目的はただ一つ、まだ苦しんでいる薬物依存者にメッセージを運ぶことである。

全く違う記事ですが、共通した記事として一緒にここに紹介しておきたい。

貧しい子達ために自分も最低限の生活をして
仕事をしている彼に、話をきかせてもらいながら、
すごいなって思いました。
アフリカに1年以上いるけど、こんな風に
アフリカ出身の子がアフリカの子達のためにここまで
一人で活動をしている人をみたことがなかったから。
私が今までみてきたアフリカの
エリートや裕福なうちの子は、
上を上をどんどん目指すし、
やっぱりどこでも良くも悪くも同じかもしれませんが、
お金を手にしたらもっとお金を手にしたくなる人が多い中で、
こんな風に自国や隣国の悲しい問題に向き合えて。
彼は自分の家族はマラウィにいて1年に会いに帰れるのは数回のようで
それでもここで頑張れる理由はなんだろう。きっかけはなんだったんだろうと思ってきいてみました。
彼もマラウィの南西部の小さな村の生まれで、
小さい頃、病気で痛くて苦しくて
泣き叫んでも誰も耳を貸してくれなくて
いつも差し伸べてもらえる手がなくて、
そのことをずっと忘れられずにいて
、今こうして働いているよ。
やっぱり子供は一人で大きくなれないからね。
って暑い中、お豆のお昼ごはん準備してくれながら
教えてくれました。
人に2つの手があるのは、 ひとつは自分を守るため、もうひとつは、
人を助けるためって張り紙で見たの思い出しました。
プラ子旅する。—ただいまアフリカでボランティア中 | モザンビークより
抜粋させていただきました。

どちらも、「痛み」からの呼びかけから生まれたという共通点があります。
どうしても忘れられないそれぞれの人々にある大きな「痛み」
その最中では声をあげることもできないほど辛く、
やっと抜けたとしても、思い出すのは身が切られるほどの「痛み」。
それが実は、同じ痛みを持った仲間たちへの
大きなパワーと手助けになる種、
可能性を持っているということだと改めて教えられました。
はじめの一歩を歩き始めたとき、
その痛みは回復した兆し、サインなのかもしれない。
痛みはひとりの痛みではないということですよね。
apple
まだ金木犀の香りが漂う日々
今年はいつもより金木犀の香りが強く
長い期間咲いているような気がする

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