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五木寛之氏「親鸞」上巻 | 公開インターネット 読んだ

インターネット上で無料公開している
12日午前0時から1カ月間限定 6月11日まで

読み始めたら、パソコンで読むのはとても読みずらかったけど
あまりに面白くて読みきらせてもらった。

『親鸞』五木寛之〈上巻〉無料公開|講談社 http://shin-ran.jp/
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五木寛之氏が解釈する親鸞の姿

2010.5.11 18:57

作家の五木寛之さん
作家の五木寛之さん

講談社は11日、五木寛之さんの長編小説親鸞」上巻を、ネットで無料公開すると発表した。
12日午前0時から1カ月間限定で、プリントアウトはできない。

同社によると、五木さんが「若い世代が書店に足を運ぶきっかけに」と発案し、
実現したという。

親鸞」は昨年12月から上下巻で約65万部を発行しており、
講談社は「現在もベストセラー上位の作品を無料公開するのは例がない」としている。

以下、小説に登場した歌とメモ

弥陀の誓いぞ頼もしき
十悪五逆の人なれど
ひとたび御名を称うれば
来迎引接(らいごういんじょう)疑わず

明日ありと 思う心の 仇桜
夜半(よわ)の嵐の吹くぞ悲しき-忠範
明日ありと 思う心の 仇桜
夜半に嵐の吹かぬものかは – 慈円

人の身得ること
仏の御法を聞くこと稀なりや
生まれ難き人と生まれて
空しく過ぐさむが悲しき

ほとけはつねに いませども
うつつならぬぞ あわれなる
ひとのおとせぬあかつきに
ほのかにゆめに みえたまう難しや

しなてる 片岡山に
いいにうえて こやせる
そのたひと(旅人)哀れ
親無しに なれなり(汝生り)けめや
刺す竹の きみはやなき
いいにうえて こやせる

親を思わば 夕日を拝め
親は夕日の 真ん中に
西の空見て 南無阿弥陀

弥陀は夕日の その先に – 玉虫
法然房が求め続けたのは、 死んだ後に浄土に往生したいという求道

苦楽から極楽往生

範宴(はんねん)
「好相行」をするくだりが特におもしろかった

一日三千回の五体投地

御仏の姿を、ありありと観る行、
「好相行」って、幻視幻聴を見ること?

天台の修行の第一関門 仏を見ることができなければ、
永久にその行を続けなければならないのだそう

十方浄土の形 すべての人々がすくわれる理想の世界を見定める必要があるという

範宴は、人はなぜ仏を求めるのか、

そもそも仏とはなんなのかという根本の問題に突きあたる

音覚法印は言った
「そなたは見えぬ仏という大きな仏と出会った。そなたの行は成った」

親鸞が見聞きしている世界が、現代に生きる私たちの世界と重なる。

最後に、「救われる」とは一体、
どういう状態のことをいうのだろうかという疑問が投げかけられたと思った

そもそも「救われる」の意味さえ私はよくわからない

考えれば考えるほどわからなくなってくる

―小説「親鸞」には、難しい仏教の専門用語が出てこない。親鸞の師匠は法然で、最も大切な考えは「易行(いぎょう)」です。易行念仏とは誰にでもできるやさしいこと。それが念仏であるという意味なのですから、私も法然、親鸞の思想に従って書いています。専門家から見れば幼稚な童話のように思われるかもしれませんが、「生きがたい世の中を親鸞のように信念を持って生きた人がいるんだな」と読者に感じてもらえればいい。あとは専門家に深い親鸞研究をやってもらえれば、と思っています。

―これから小説はどう展開していくのか。

親鸞は「悪人正機(あくにんしょうき)」とかいろいろ言われますが、それだけではありません。苦悩と遍歴の末に最後に「自然法爾(じねんほうに)」に至る大きな生涯です。35歳くらいまでを前半とし、後半は90歳までの親鸞の遍歴を描きたいと思っているのですが。

―いま、なぜ「親鸞」なのか。時代は、非常に明るく前向きで元気のいい時代と、苦しみが多く困難な時代に大別されますが、2001年を境に日本を含め、世界のすべての国々がある意味で悩みの多い時代に入ってきました。経済的不安を抱え、失業問題を抱え、凶悪犯罪も続発し、大変難しい時代です。こういう時代になると、思想家とか、哲学者とか、宗教家とか、文学者とか、困難な時代に生きた先人たちがクローズアップされますが、その1人が親鸞でしょう。

―「蟹工船」がブームになった。

格差社会における過酷な労働、搾取の問題が取り上げられているからかもしれません。一方で「神なき社会」に人はどう生きるかという悩みから、これまで顧みられることのなかったドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」が若い人を中心に読まれています。

そんな中で隠れたブームになっているのが、親鸞の教えをまとめた唯円(ゆいえん)の「歎異抄(たんにしょう)」です。人がいや応なしに罪とか悪を意識せざるを得ないような時代に親鸞は生き、そのことを誰よりも深く悩みました。彼が生きた平安末期から鎌倉時代は、社会の大変動の時代。いまもまた、資本主義の大変動の時代です。17世紀以来続いた資本主義が音を立てて瓦解しようとしています。その大転換期に、かつての大転換期に人々の心をとらえた親鸞が登場してくるのは当然ではないでしょうか。

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生活保護や雇用がほとんど機能しなくなった現在、このベーシック・インカムは実現の必然性が日に日に高まっていると思います。派手なニュースこそないものの、身近な伝統ある会社に民事再生法が適用されたり、工場の操業が週に3日になって給料も4割カットになったという話はざらにあります。

そんな中で、「ベーシック・インカムは私の価値観には合わない」とか「働かざる者食うべからずだ」とかいった昭和の景気が良かった頃の価値観が根強いのもまた事実です。

五木さんは連載小説の『親鸞』を執筆していますが、今の状況はまさにあの戦乱の時代に近似しつつあります。もちろん、生活水準は当時とは比べ物にならないくらいに良くなりましたが、貧困のために餓死する人や自殺者が多発する状況は、当時に匹敵する「地獄」であることは間違いありません。

そんな中、こんな折にも相変わらず、「食えない状況に至るまで努力しなかった奴が悪い」などと自己責任論を唱える人は、「自力作善」を信じ込んでいる鼻持ちならないパリサイ人のように思われてなりません。工場で長年腕を磨いてきた職人さんでさえも容易に給料カットの憂き目にあうのです。こんな異常な時代だというのに、そんな時代認識ができないだけでなく、苦境で悩む人たちを見下す発言は撤回してもらいたいものです。

「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」ではありませんが、貧困の人にも生存権があることを訴えるベーシック・インカムは社会制度にしかすぎませんので、浄土真宗とは何の関係もありませんが、どこか親鸞の精神を引き継いでいるような気がしてなりません。

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五木寛之氏「親鸞」上巻 | 公開インターネット 読んだ” への4件のフィードバック

  1. この本を単行本になったら買おうと思ってダラダラ待ってました。
    よい情報をありがとうございます。

  2. おー、あと一週間ほどありますネ。
    「放埒の血」あたりから夢中になってきました (^^)

  3. 五木氏は「今が戦後最悪」といわれていますが、それでは「戦後最良の時」はいつだったのでしょうか? 1950年生まれの私が知っている日本の戦後社会は50年代後半から現在に至るまでですが、今が最悪、とはなかなか思えません。引用されている中で、  2001年がたしかに、世界的にはターニングポイントと考えられているようですが。

  4. 「戦後」何が最悪だったか、最良だったかなんて、わたしにとってはさっぱりわかりません。
    なにを基準にして判断するのかは難しいんじゃないでしょうかね。
    世界的にという視点だって、戦後じゃなくても昔から同じ人間とは思えないような地獄のような世界もあるでしょう。
    今だって。。

    私はjean-claudeさんよりもっと後の世代ですが、
    個人的にはどこかでのた打ち回って苦しんでる人がいるうちは、
    誰一人しあわせになんてなれないじゃない?と思ってます。
    しあわせだと思う基準も、思いひとつで気の持ちようという個人的な「生き方」とは別に
    というかそれは勝手にどうぞですが、世界にとって最良のときなんてなかったんじゃないのと。

    そういえば、「蟹工船」やっぱり読んでみようかな。

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