カテゴリー: つぶやき

伊集院氏の新聞小説仙台四郎と辺見 庸氏の小説

11月21日の地元新聞 伊集院静さん×瀬名秀明さんとの対談から
伊集院氏の新聞小説「青葉と天使」についてのくだり、

商売繁盛といわれた仙台四郎の逸話にヒントを得ました。
仙台は少し考えるテンポの遅い仙台四郎を温かく受け入れました。
それは仙台という優しさを象徴しています。
仙台という街の持つ優しさを書いていきたいですね。

ここを読んだとき温かいものが流れてきたけど待てよ、
確か仙台四郎の生まれ育った家ってそもそも裕福な家じゃなかったっけ?
四郎が飲み喰いした食事代はあとから家のほうで支払ってたとか。
なるほど同じ不自由な身体といえどお金のある家と
そうでない家では格段の差があったわけよね
病気にせよ生活能力にせよ、お坊ちゃまなら違うわけだと納得し、
それをまたいいように町おこしの材料として
提供されるのだと思ったものだった。悪いことじゃないけど。

そんなようなことをだいぶ前にスピリチュアル関連の掲示板に
チラッと書きこんだことがあり、仙台四郎を侮辱した謝れという趣旨の
怖い攻撃メールをもらって面食らったことがある(当時メルアド表示必須の掲示板)。
掲示板ではよく見かける常連さんだった。
結局どういう意味で書いたか詳しく説明して勘違いしたと謝ってくれたけど。
仙台四郎 – Wikipedia

あ、話それた。

仙台の優しさ?
子供のころ新潟からこちら側に引っ越してきて
こっちに住んでるほうが長くなったけど
よそ者に対する顔は結構冷たいなぁと思ってたからこれも意外。
よそ者に冷たいけど、一旦月日が経ちその者に慣れ、
身内的な状態になると、たとえかなり困ったちゃんになっても
冷たく突き放さないという不思議な温かさ(?)があるとは思う。
商売も、あんた売るつもりないのかと思うほど
無愛想な態度を平気でとったかと思うと、
身内関係だと知ったとたんに急に態度が一変したり・・、
そんな姿に接するたび深い嫌悪を覚える。

伊集院氏の新聞小説「青葉と天使」を読んでると、
いかにもな「仙台」の街アピールが鼻(?)について気になってたけど、
さすがプロ小説家の力量なのか物語に引き込まれ毎日読むのが楽しみになっている。

このインタヴュー読んでまた、
ああこれみよがしなリップサービスと思いつつも
本気でそう思ってるのかもしれない。
でも「仙台の街、こうあって欲しい、こうだったらいいな」
というニュアンスだったら引っかかりはしないしここまでヤな気分にはならない。

かたや毎週火曜に載る「水の透視画法」の辺見 庸 氏。
ひとつひとつの言葉はさまざまな色の光沢と深みを与えられ、
紡いで放つその威力に頭の芯まで届けられる文章に接してしまうと・・。

このお二人の作家の作品をただ並べて比較するのは
ジャンルも趣旨も違うわけで乱暴だと思いつつも、
新聞の中にある小説はこの二人しかいないのだから単純に比べてしまう。

実際仙台四郎がどうだったのかなんて実はどうでもよかったりする。
伊集院氏の言葉の使い方に引っかかって
気持ちが収まらなくなったただそれだけ。
おもしろくてつい読んでいるのに、
モヤのかかった嫌な思いがこのインタヴューを読んで燻りだされた。
ああこの小説で最初から引っかかってたものはこれだったと。

辺見氏の小説は、単なる新聞を読んでいたはずなのに、
深く暗い井戸を覗きこんだらぼんやり浮かんだ
絵の具で塗られた絵のようなものが、
やがてはっきりとした景色となりすぐ目の前に迫ってきて息を飲む。
読み終えた瞬間、心の中で惜しみなく拍手する。

毎回読むたびに思う小説家の凄み。
こういう文章に触れたことに感謝する。 

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