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OSHO 「大いなる挑戦」を読んで


Osho エクスペリエンス:瞑想, メディテーション, 禅, 心の科学

http://www.osho.com/index.cfm

時折このサイトに訪れ、
「今月の講話」「今週の瞑想」「忙しい人のための瞑想」をチェックしていた。

そこにはたまに前に読んだOSHOの本にあった懐かしいフレーズだったり、
知らない講話も結構出ていてちょっとした楽しみだった。

彼の本は『存在の詩』『究極の旅―禅の十牛図を語る』とか
『TAO―老子の道』Q&A あたりぐらいを読んだことがあった。 “OSHO 「大いなる挑戦」を読んで” の続きを読む

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気功の意味


 

 

 

気功の意味について、書こうと思ってて
そのままにしていたメモを見つけたので書いておこうと思う
「気」とは呼吸「功」とは鍛錬・調整
気とは元気を出す気、やる気が出たの気、
天気がよいの気、私達が呼吸する気のこと
気は「神」と「精」とに関連しながら生命活動を活性している
「神」は精神活動を司る脳の働きを意味する
「精」は飲食物が消化され、体内で気化作用し生成された
基礎的エネルギーのこと
中国では「気」「神」「精」を人体の三宝と呼び、
生命維持の最高の物質としている
この三つの宝はお互いに関連しあって「真気」を生み出す
三宝を人体に置き換えると
「神」はこめかみ(上丹田)、
「精」は下腹部(下丹田)、
「気」はへその奥(中丹田)にある。
喜びが過ぎると気は緩み、怒りが過ぎると気が上がり、
深い悲しみは気を消し、強い恐怖は気が下がり、
驚きが強いと気が乱れ、憂いが深いと気は縮み、
思い悩めば気は固まる
気功の功法の練習のことを連功という
注意点
*服装はゆったりと気軽なもの
*空腹、満腹の状態は避ける
*練功の場所は、室内、室外どこでも構わないが、
通風のよい静かなところで大風のあたるところは避ける
(室内でも外でも太陽の方を向いてやる)
*怒り、悩み、驚きなど、感情に乱れがある時は行わない
*功法は同じものを続ける
別の功法を途中で取り入れたりしない
*練功の回数および時間の長短は、
各自の体力にもよるが、疲れの残らない範囲で行い、
あまり疲れすぎるのはよくない。
さて、vijayさんが季節による「気」の中医学
紹介していたのがおもしろかった
また、
「あなたの「解釈」が心理的痛みを作り出す」というのも
深い観察眼

○∞心理的な痛みはあなたが自分で作り出したものだ
心理的痛みは、ある種の「刺激」とか、
「苦痛」とか呼ばれている、リアリティを
根拠として存在しているのではない。
むしろその痛みは、避けたり、
抵抗したくなる事実やリアリティを
「解釈」することによって作り出される。
このことを理解しようとしてごらん。   ∞○
と。。
そういえば気功では、2月に調子が悪いところがあると
それは一年続くといわれている
今の季節、調子が悪いところがあればほっとかないで
養生させましょう

 

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シャーリー・マクレーン「ダンシング・イン・ザ・ライト」2


1のつづき
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「陰は直感であり、陽は力である。
陰のエネルギーが見えない力から
見えるものへ表現されれば陽のエネルギーになる。
陰のエネルギーを表現している女性は、陽の方法で表現している。
男性が見えない世界を見るために内側に入りこむ時は、
彼は自分の陰のエネルギーを使っている。
両方とも必要なのだ。完全にバランスを取るためには、
一人ひとりが、与えられた肉体の中で、
この両方のエネルギーを認識する必要がある。
世界にバランスの取れた平和を実現するためには、
個人個人がまず自分の内にバランスのとれた平和を見つけること。
つまり、バランスよく表現された陰と陽のエネルギーを
認識することが必要。
女性は見えない世界の真理を知っており、
男性はそれを表現する力を持っている。
女性は見えない世界の知識、秘密を保持している。
男性は常に女性を内部的なサポートシステムとして、
その直観力を利用してきた。」
「人生は生き残りのゲームではない。
霊的な進化のプロセスである。
大きな悲しみも栄光の勝利もすべて人生に起こることは、
我々が判断抜きにただ観察した時に、意味を持ってくる。
美しさはその存在そのものにあり、自然の中の出来事は、
すべて相互作用の輪の一つ。
自分の霊的な力を信じていると、心配がなくなり
心配から開放されることはどんなに威力のあるものか
びっくりするほど。」
「私の人生に起こるすべてのことは、
理由があって起こることなので、
ただ物事が自然に起こるにまかせている。」

一休さんは、女性を無視してほとんどその存在を否定し、
男女間の愛や性の重要性も認めなかった当時の禅に強く反発した。
人間の性と女性のエネルギーの尊重を主張した彼の禅哲学を、
ある小冊子で“赤糸禅(the Red Thread Zen)”と呼んでいた。
そこには、
女性の体につながっているへその緒がなければ、
我々の人生そのものも存在しない。
独身主義を否定し、女性との深い関係が
彼自身の悟りの大きな助けとなったと書かれていたそうだ。
彼は最愛の伴侶を70代後半になって得ていた。
その相手が盲目の三味線弾きのシャーリーの過去世だった。
一休さんが死の床で捧げた彼女への辞世の句
別れを惜しむ、君のひざまくら
君の心はとこしえに・・・・・

真理について追求する人もそうでない人も、
まったくといっていいほどに、
現世の考え方などはわざとそうしたキャラクターで
出ていたりすることも、シャーリーのこの本で伝わってきていた。
魂ではわかっていても、わざとわからない状態で出会ったり、
また、もちろんその逆も然りで、
二人とも開放された心の結びつきで出会うこともあるのでしょう。
そうした出会いが望みではあるけれども、
本当の自分の計画からくる、カルマがあるのですよね。
だからこそ、今世で心が通じ合うというのはやはり、
大変貴重な瞬間でもあり、歓びでもあるでしょう。
その場合もまた計画の一部であるかもしれない

「現実は存在せず、認識があるのみ」
「現実とはその人が現実だと思っているもの。。
なくなってしまうもの、去っていくものもない。
すべての物、すべての人は常にここに存在している。」

この言葉がしんみりと響いてくるのです。
いつもいつも 今世で感じてきたもの
それはみんな大切な人は去っていく・・。
その寂しさが無くなるような、溶かされていくような言葉。。
そうだった。そうだったんだ。。

「苦しみもがくことをやめ、ただ求めることが道の一つ。」

とはいっても、一期一会の瞬間の中 歓喜と苦しみ悲しみの同居
これからももがいてしまうこともあるでせう
いえ、もがくことをやめることができないからこそ
レッスンは続いていくのでせう
やってくる感情に身を委ね
これからも泣いたり喜んだり・・

「求めるということは、完全の中の一部。」

心の目で見ていくこと
内面へと進む小宇宙への旅

「新しい物理学者や古代の神秘主義者の言っているように、
私達が世界の現象や人々を観察すると、
私達はただ自分自身の意識とダンスしているにすぎない、
ということに気づくはずである。
私達が感じ、考え、行動するあらゆることは、
他のすべての人の感覚、思考、行動に関連している。
私達はみんな、ダンスに参加しているのだ。
内なるダンスと外なるダンスが絡み合う。
そして、ダンスとダンサーはひとつだった。」
「我々が住む不完全な世界には、常に調和への追求がある。
それこそが不完全の世界に住む目的。
不完全であってこそ完全なのだというパラドックス(逆説)」

そこでやはり思い出されるのは釈迦の最後の言葉でした。
「世界は素晴らしい。この世はなんて美しいのだ!!!」

▼-*- today’s key~ Ik 風 告知 呼吸 白 -*-▼

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繰り返し見る夢と過去世の繋がり


「22を超えてゆけ」の本に書かれてあった
過去世又は未来の記憶であろうと
言われるような夢を見た
「22を超えてゆけ」にはこのように書いてある。

*******************************************
・・・ 過去が変わることもある。
もちろん、物質的な出来事が変更されることは少ないが、
その出来事に対する感情部分は、
後からでもじゅうぶん修正が可能なのである。
記憶が好きなように再構築されるというよりは、
過去に超えられなかった感情パターンを、
現在においてクリアすると、
過去にあった同じパターンのものが、
いっせいに裏返るのである。
現在を変えれば過去も変わらずにはいられない。
いうなれば、過去も未来も、すべてが同時進行しているのだ。
*********************************************

夢のなかで過去世および
来世を見る方法としてこのように書かれている。


**********************************************
繰り返し夢のなからあらわれる鮮明な夢は、
過去世の記憶と深いつながりがある。

それが普通の夢なのか、はたまた前世の記憶なのかを
判別する基準とは、一言でいってしまえば、
「視点の位置」にある。
鳥のように上空から見下ろしている夢は要注意で、
その視線が回転を始めたら、それは、
ほぼ過去世の記憶といって差しつかえないだろう。

たとえば、切りたった崖のうえに立ち、
眼下にひろがる大海原を見つめている人を
想像していただきたい。
その人を中心に、カメラが360度グルリと廻るアングルが
夢にあらわれた場合は、過去世もしくは未来の記憶である。

厳密には右まわりの回転と、左まわりの回転があるのだが、
それは過去と未来の時間差だけである。

・・・・ そして、夢のなかで過去世を見るコツは、
まず夢を見ているということに気がつくことである。
通常ではできないこと、たとえば天井を突きぬけたり、
空を飛んでみると、それは夢であると
簡単に確かめることができるだろう。

次に自分の意志で回転運動を作り出すことである。

そうすれば、なんなく時空を超えることができるのだ。
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わたしは、子供の頃から繰り返し見ていた夢の場所を今朝がた見ていた。

懐かしい場所。その懐かしさはずっと何度も夢の中で訪れていたからだ。

わたしの夢のこの場所は、街になっている。
床屋や美容院、喫茶店やパン屋さん、学校・・・
これらの風景は、子供の頃にいた町の記憶の縮図だと思っていた。
もしかしたら、過去世というより、
単なる今世の過去くらいなものかもしれない。
ただ、よく考えてみると、温泉宿なんか無かった。
温泉宿もあまり行ったこともない。
それに何度も出てくる長屋も、そこに住んでいる人々も
よく考えてみると、そんな場所には実際には行った憶えもない。

実際にはあり得ない住居もあった。
トンネルの中にずらっとアーチ型の
ダークレッド色の扉が並んでいる家
その家に訪れたことがあった
中はあまり広くはない家だった。
長い大きな畳部屋 そこには木の廊下をはさんで、
また大きな畳部屋があるのだ。

夢の中ではそこを見なくてもそうした構造になっているのを知っている。
その畳部屋に今回は異変が起きていた
いや、何故か最近は特に、この夢の場所に行くたびに
ところどころ風景が変わっていたことを思い出す。

墓場の墓が見たこともないような異国風の大きな石になっていたり。。
その畳部屋には大勢の人が住んでいたはずなのに、
人々はいなく、物もすっかり無くなっていて、ガランとしていた。
誰もいない建物に化していて、
通りに面したたくさんのガラス戸が開いたまま
風が吹き込んでいた。

誰もいなくなってしまった。この建物にはもう、誰もいなくなった。
人がいたときは、いろんな物があった。
なんだか温泉宿か旅館のような感じだった。
引っ越していったのかな、そう思ってもっと見ようとすると、
アングルはグルリと右廻りに旋回していった。

その場所に立った状態では見る角度ではなかった。
朝、夢から醒めて、こんな夢を見たことにちょっと驚いた。
だけど、このときの状況を見ていて、
感情はあまり無かったことを思い出した。
誰もいなくなったことでいよいよこの古い建物が
取り壊されるのかな、とちらっと思ったくらいだった。

夢の解釈では、ジェームス・レッドフィールドは
夢はわたし達の進む方向を示唆し、見失っている何かを
教えてくれると言っています。

夢で起きたことと現実を比較してみるのだそうです。
夢のポイント、気になった点、夢の中の人々が自分の一部だとしたら、
彼らはあなたに何を教えてくれているか、全体の感じ、
現在との対比、見過ごしている事柄について何を教えているか。と。

すぐにわからなくても、
夢は同じメッセージを何度も違う方法で教えてくれるそう。
今回、アングルが変わったということしかわからなかったけれど、
これまでも見ていたかもしれないのに、
このアングルが変わったということに
気がついたことが収穫だった。

どんなことに気がつきたいか
どんなことが起こりたいのか

あっ、 こうして書いてて気がついた
昨日の日記の示唆なんだ
あなたを完全に理解する人など存在しないというある人のメッセージ
それは同時に 理解したくても
相手を理解することはできないということでもある

それは真実だという思いと、一抹の寂しさを感じていた
それが、この夢の街のこの建物の姿として
象徴されたものだったのかもしれない

現在の気持ちが、過去世の何かのイメージと未来の暗示を
示唆していたのかもしれない

まあ、ようするに、寂しいメランコリックな気分が出てきただけさ
という一言に終わってしまうことでもあるのだろうけど。。。

録音機(アメリカ)

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それぞれのペース


時々見に行くあるサイトで
こんな言葉が載っていた

『周りの人がみんな自分の土俵に乗ってくれたら
気持ちが楽になるという思いが
心の片隅にでもあると、いい結果は得られない

あなた自身がそうであったように、
人それぞれにペースがありタイミングがあり、
そして「人生のゲーム」をしている土俵があります。
したがって、あなたの現在の到達点を正しく理解してくれる人は、
どこにもいないことを前提に、ものを考えるべきです。
そして、それでも、
人はどうであれ自分は信じる道を歩む—という姿勢が大切』

『「世の人は われをなにとも ゆわばいえ
わがなすことは われのみぞしる」坂本竜馬』

ここでジェームス・レッドフィールドの著書を思い出す

「ひとりでいても大丈夫かどうか」

だけど、
だけど私たちは もう一人の自分を見出すまで
ずっとせきたてられているように
ずっと引っ張られているように
転生を超えても変わることなく、ずっと
ずっと分身を求めて歩いている
そのように感じてならないこともある

共感の安堵
終わり無き旅の道すがら 
ほっとティータイム?が欲しい

ただそれを目標にしてしまったら
依存しているだけになってしまうのだろう

ふぅ

しかし
他の人とのコミュニケーションから
引き出されてくるのが共感、共時性

共感は活力と元気が沸いてくる
それもとても大切
でも、それは
期待してしまったとたん
バランスを失ってしまうのだろう

蜘蛛の巣のように
見えない金色の糸で
繋がっているわたしたちの姿も真実

揺るぎなく
支えられ生かされている
自らの姿がいつも
見えるように
感じられるように
自分の消息をたずねていたい

木々の香りが漂っている
草花の香りが漂っている
自然たちは わたしたち人間よりも
とても元気に見える

虫の声がこだまする

+:+:+:+:+:+:+:+
静寂心のない時
人は本当の顔を失い
根を失い 
安らいだ歓び
哀しみに満ちた怒り
痛みに満ちたかなしみを
知ることはできない
他人に共感できず
響きあうことができず・・・
+:+:+:+:+:+:+:+ my 訓示